水戸地方裁判所土浦支部 昭和40年(ワ)205号 判決 1967年5月17日
主文
被告両名は、各自、原告明美に対し一、〇〇〇、〇〇〇円、原告とみえに対し六二四、九三五円、原告優和に対し三〇〇、〇〇〇円と右各金員に対する被告日本国有鉄道は昭和四一年一月一一日、被告田中は同月一三日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員とを支払え。
原告らのその余の請求は、いずれも棄却する。
訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。
事実
原告ら訴訟代理人は、「被告らは各自原告明美に対し一、五〇〇、〇〇〇円、原告とみえに対し八三五、七六五円、原告優和に対し五〇〇、〇〇〇円と右各金員に対する本訴状送達の翌日である被告日本国有鉄道は昭和四一年一月一一日、被告田中は同月一三日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員とを支払え。訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。」旨の判決を求め、その請求原因として、「一、原告明美は、本件事故発生当時九年六月の幼童であり、土浦市立都和小学校三年生であつたが、昭和四〇年二月一三日午前八時二〇分頃同市大字常名四、三七一番地先道路上を集団登校の途中、被告田中の運転する被告日本国有鉄道所有の乗合自動車(茨城2け四三号以下国鉄バスという。)に左足を轢かれ左第一から第五中足骨複雑骨折、左第一趾基節骨々折、左リスフラン関節外傷性脱臼、左足背部裂創の傷害を受け、直ちに医師訴外川臼道弥の診断加療を受けたが、現在なお左足に外反外転扁平足変形を示し、右変痕は後遺症として残り跛行となつて引続き医師の治療を受けつつある。二、本件事故発生の道路は、筑波旧街道の中並木四ツ角から北方山ノ荘に通じる幅員四米七〇糎の南北に亘る市道であつて見通しがよく、歩、車道の区別および舗装はないが平坦な路面であり、車両の交通は頻繁で歩行者も少くないが、事故発生当時は対面車もなく閑散であつて、付近一帯は南方から北方に向つて東側に側溝があり、事故発生当時はその側溝に沿つて幅員九〇糎の間に水道管埋設工事が行われた跡があつて、その部分の路面が固定しないため歩き難かつたのみならず、道路の東側右肩四五糎の部分は落差九糎の急傾斜をなしている。しかしその反対側は道路幅員四米七〇糎より更に六四糎の幅延びがある。本件事故発生地点は右四ツ角から北方へ七〇米、前方(北方)のカーブから約三〇〇米手前であつて、岡田医院入口のコンクリートの溝蓋北端から約二米北方で、同医院側(道路東側)側溝から道路中央に向つて一米三五糎の地点である。三、原告明美は、本件事故発生前六歳から一一歳までの小学生二〇人の集団に加わり、右集団は事故発生の道路を南から北に向つて右側を二列縦隊で進行し、その右側の一列は右工事跡の西端を歩き、左側の一列は工事跡から左側中央寄りに外れて平坦な路面を進行する通学途上の監護者の付添わない学童の群れであつた。被告田中は、大型の国鉄バスに乗客を満載して北方山ノ荘方面から南方旧筑波街道に向つて時速約三〇粁で進行し、本件事故発生地点の北方一五〇米の地点において、対面して進行してくる右学童集団を認めたが、そのまま時速約三〇粁の速度で進行し、学童集団を目前にしても、警笛を鳴らして注意を与えることもなく、速度もゆるめないで、道路の反対側に避難する余地が十分あるにかかわらず、学童集団とスレスレに直進してきて、その前輪で、原告明美の左足の指を轢き、更に転倒した同人の左足の背部を後輪で轢いて前掲傷害を与えたまま、一時停止することもなく進行して土浦駅前の終点に到つたものである。大型バスを運転する被告田中としては、本件道路のように道幅の狭い道を運行するには絶えずその前方を注視し、前方に原告明美らの如き何時列を乱すか判らない学童集団が監護者の付添いもなく歩行して来るのに対面したのであるから、遠くから警笛を鳴らして警告を与え、学童の行動に注意し、かつ何時でも急停車し得る程度に減速するか、または本件道路の状況から避譲する余地が十分あつたので危険を生じない程度の避譲をして運行する等の措置をとるべき注意義務がある(かりに、本件道路状況において避譲する余地がないとすれば、危険を避けるために停車して学童らの通過を待つか、または最徐行して危険の発生を未然に防止する注意義務がある。)にかかわらずこれらの措置をとらず、本件事故を起したのにバツクミラーをも顧みずそのままバスの終着駅まで走り去つたものである。この事実は、右学童集団に対し殆んど無関心のように運転したものと言わなければならず、まさに自動車運転者の注意義務を怠つたものというべく、本件事故は被告田中の過失によつて発生したものであることは明らかである。しかして、被告日本国有鉄道は、国鉄バスを使用して乗客運送の業を営んで居り、本件事故発生当時被告田中を運転者として雇傭していたものであり、本件事故は被告田中の業務上の過失に基因するから被告田中は行為者として民法第七〇九条によつて、被告日本国有鉄道は自賠法第三条又は民法第七一五条によつて、各自原告らの蒙つた損害を賠償する義務がある。
四、原告とみえは、原告明美の治療費等として別表のとおり三三五、七六五円の支出を余義なくされたものであるから、本件事故によつて同額の損害を蒙つたものである。原告明美は、その左足に重大な傷害を蒙り、長期に亘つて入院加療し、或は通院してその治療につとめたが、今日に至るも全治するに至らず、左足背部の裂傷痕は硬化して扁平足が変形(外反外転)し、後遺症として残つて回復は終生困難の状態にあり、左第一から第五中足骨複雑骨折ならびに左第一趾基節骨々折のあとも力を入れることができず、踵で歩き、跛付を引き、運動機能はなくなり、痛みを覚え、正座はできなく、また半年間は休学し、学力の低下したことや学友と従前のように一緒に運動することができなくなつたことにひけ目を感じて性格が陰うつ、短気になり、通学の途に怖れを抱き、国鉄バスには特に恐怖を覚え、遂には従前の学校が嫌になつて昭和四一年四月から土浦小学校に転校するに至り、女性のことであるから、女性としての将来のことを考えるとその肉体上の痛手とともに精神上の苦痛は甚だしい状態にある。このような重大な傷害を受けた原告明美の父母である原告優和、同とみえが右傷害を蒙つたことから直接に重大な精神上の苦痛を受けたことは顕著であり、本件傷害を受くるや、当時乳児の長男を抱えていた原告とみえの母乳は止り、四〇年度の農耕を放棄し、原告優和も数日間休勤したうえ、作業成績も低下したほどであつたが、これら両親は本件事故により終生後遺症を拭い去ることのできない身体障害者となつた原告明美の監護養育上の辛苦はもとより、女性としての原告明美の身上等将来に亘る心痛ははかり知ることができないほど重大なものである。よつて原告明美に対する慰藉料として一、五〇〇、〇〇〇円、原告とみえ、同優和に対する慰藉料として各五〇〇、〇〇〇円を相当とするから、原告らは、被告ら各自に対し原告明美の慰藉料一、五〇〇、〇〇〇円、原告とみえの前掲財産的損害三三五、七六五円と慰藉料五〇〇、〇〇〇円合計八三五、七六五円、原告優和の慰藉料五〇〇、〇〇〇円と右各金員に対する本訴状送達の翌日である被告日本国有鉄道に対し昭和四一年一月一一日、被告田中に対し同月一三日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」と述べた。〔証拠関係略〕
被告日本国有鉄道訴訟代理人および被告田中は、「原告らの請求は、いずれも棄却する。訴訟費用は、原告らの負担とする。」旨の判決を求め、答弁として、「原告らが主張する事実中、一、の事実のうち原告明美が医師川田道弥の診断加療を受けた事実、この事実のうち本件事故発生当時は対面車のなかつた事実および原告の主張の側溝に沿つて幅員九〇糎の間に水道管埋設工事が行われた以下の事実を除き、その余の事実、三、の事実のうち原告明美が原告ら主張の市道右側を側溝に沿つて六歳から一一歳までの小学生二〇人とともに二列縦隊の集団となつて南から北に向つて登校の途上であつた事実、被告田中が国鉄バスを運転し北方山ノ荘方面から南方旧筑波街道に向つており一時停車することもなく進行して土浦駅前終点に到つたものである事実、原告ら主張の大型バスを運転する者は、道幅の狭い道を進行するには道路の状況や通行人の有無等に十分の注意を払い危険を防止する義務ある事実、被告日本国有鉄道が原告ら主張の業務を営んでおり、本件事故発生当時被告田中を運転者として雇傭しており、本件事故は被告田中の業務執行中に発生した事実、四、の事実のうち新治協同病院の入院費が一四六、八一五円であつた事実はいずれも認めるが、その余の事実はすべて争う、被告田中は、国鉄バスを運転し、乗客約八〇名を乗車させ本件事故現場付近を時速約三〇粁で進行中、前方約一五〇米左側を二列縦隊で集団登校してくる約二〇名の学童を認め、事故現場手前約五〇米の土浦市役所都和支所前付近において、警笛を二回ならし、注意を喚起し、これに気付いた右学童集団が二列縦隊のまま左側いつぱいに片寄つて歩行して来るので安全に通過できることを確認して、中並木乗降場手前約七〇米付近に至つた際、右集団との距離約一〇米となつたので、ブレーキをかけ速度を時速二〇粁以下に減速し、車両を左側側溝から二米の位置まで右に寄せ、右集団と車両との間隔を約一米に保つて、前部車輪部分が安全に通過し、なんらの異状も感ずることなくすれ違いしたものである。ところが、たまたま右学童集団とのすれ違いの際、前方よりモーターバイク二台が進行してきたため前方を監視して前方の安全を確認した後更に右学童集団とのすれ違いの安全をバツクミラーで再確認したところ、学童集団の最後部の二、三名の後姿が後輪タイヤ付近に見え、かつ自動車運転上なんらのシヨツクもなんらの異常も認められなかつたので、運転を続行したものである。かりにその時原告明美が後輪タイヤに足先を轢かれ転倒していたとしても後続の学童二、三名の後姿にさえぎられ、バツクミラーにより認めることは困難な状態であつた。しかしてバツクミラーは、発、停車時における乗降客の安全および後続車両の有無、その状態等の確認がその主眼であり、進行中においては特に危険を感ずるすれ違いの場合以外は、専ら前方注視が運転者の主要な注意義務であり、本件の場合の如く原告明美とは前車輪部分と無事すれ違いした直後、たまたま前方よりモーターバイク二台が進行してきた状況において、被告田中が前方注視しつつ運転したことは運転者としては当然の措置であり、この間に、原告明美が訴外石井良子に押され飛び込むような状態で後車輪に触れたものであり、これをバツクミラーによつて確認しなかつたとして運転者の過失を責めるのは、まさに運転者の注意義務の限界をこえるものであり、あまりにも苛酷である本件事故の原因は、原告明美が石井良子に肩を押され足早やに左前方に二、三歩踏み出したところ本件バスの左後輪外側タイヤに触れ本件事故が発生したものと認められるところであり、本件事故現場付近の道路の状況はいわゆる非舗装の平坦ではあるが、石ころが路面に散ばつている砂利道であつたため、学童の足先を後輪外側タイヤで轢いた程度のシヨツクでは到底異常を感じ事故を発見することは全く不可能であつたことに基因するものである。しかして、原告明美は、集団登校途上の学童で監護者の付添つている学童に準じた取扱い方をしている。すなわち近時交通事故の頻発に対応し、学校当局はもちろん、地方諸団体も学童に対する交通安全の訓練は行届き、集団登校にあつては、必ず最高学年の指導者を定め、これに指揮をさせ、整列して規則正しく登校しているのが実情である。しかるに本件の場合は、前掲のとおり原告明美が、石井良子に突然肩をたたかれ、誤つて被告田中の運転する自動車の後車輪付近に触れ負傷するに至つたものと認められるから本件事故は被告田中の責任に基づくものではなく、むしろ原告明美、石井良子の責に帰する事故というべきである。次に本件バスには構造上の欠陥及び機能の障害はなかつた。すなわち被告日本国有鉄道は自己の保有する車両については、道路運送車両法および同被告の定めた自動車検査基準規程の定める所定の検査を定期的に行い、常にその構造上の欠陥および機能の障害の有無の検査を行つており、国鉄バスについては、昭和四〇年二月一五日に“一ケ月検査”を、同月一八日“運用検査”をそれぞれ実施し、いずれも異常を認めず、なお一運行終了の都度乗務した運転士から車両の異状の有無の報告を受けているが、この際にもなんらの異状も認められなかつた旨の報告を受けており、事故当日も本件バスには、構造上の欠陥はもちろん機能の障害は全く認められなかつたものである。かりに本件事故が、被告田中の過失に基づくものであつたとしても、被告日本国有鉄道は、自己および被告田中が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたことおよび使用者として被告田中の選任および事業の監督について注意を怠らなかつたものであり、また国鉄バスに構造上の欠陥又は機能の障害はなかつたものである等から民法第七一五条による責任はもちろん自賠法第三条による責任もない。かりに右主張が認められなかつたとしても、被告日本国有鉄道が原告らに対して支払わなければならないものは自賠法に基づく場合は同法第一三条および同法施行令第二条二により三〇〇、〇〇〇円が限度であり、これを超える部分の支払義務はない。原告優和、同とみえは、原告明美が負傷したことによる精神上の苦痛として慰藉料各五〇〇、〇〇〇円を請求しているが、民法第七一一条によつて請求できる場合は「生命を害したる」場合すなわち死亡事故に限るのであつて負傷事故には請求権はなく、また原告とみえが田畑が耕作できなかつたとして得べかりし利益を請求しているが、右は同原告が原告明美の負傷によつて農耕作業ができなくなつたことに基因するものではないから右請求は失当である。」と述べた。〔証拠関係略〕
理由
原告明美(によれば、昭和三〇年七月二五日生である。)は、昭和四〇年二月一三日午前八時二〇分頃六歳から一一歳までの入混つた学童二〇人とともに同市大字常名四、三七一番地先路上を東側側溝に沿つて二列縦隊で集団登校の途中であつたこと、被告田中運転の国鉄バスがその頃右場所において学童集団とすれ違つたこと、右道路は、旧筑波街道の中並木四ツ角から北方山ノ荘に通じる幅員四米七〇糎の南北に亘る市道であつて見通しがよく、歩、車道の区別および舗装はないが平坦な路面であり、付近一帯は南方から北方に向つて東側に側溝があることは当事者間に争いがないところ、〔証拠略〕を総合すれば、本件事故発生地点の道路は東側側溝から西側へ幅約九〇糎の昭和三九年一一月一三日頃竣工した水道配管工事のため掘り返した跡があるが、歩行に差支えがあるという程のこともなく、路面は砂利道でありバスが最徐行してやつとすれ違える程度の狭い道路で、交通量は一〇分間で車両数五台で、少い方であること、原告明美は、前掲二列縦隊のうしろから約三列目の道路中央寄りの右工事跡の西側端のところを歩行し、その後に石井良子が続き、六年生が班長(リーダー)となつていたこと、国鉄バスは、車幅が二米四〇糎(ただし、車両両側中央の帯を入れると二米四五糎)であり、前車輪は両側タイヤー一本宛で後車輪は両側タイヤ二本宛である、前車輪タイヤートレツト部端からボデーまで二〇糎であり、後車輪外側タイヤートレツト部端からボデーまで六糎であつて、左バツクミラー視角は、子供の身長を約一米四〇糎とし、運転士の座高およびバツクミラーの取付位置によつて若干変化するが、前輪車軸付近で七〇糎、後端付近で三米六五糎であるから、視界は十分であること、被告田中は国鉄バスを乗車定員五七名のところ八〇名の乗客を載せて操縦には若干の影響がある。)、時速約三〇粁で中並木バス停留所に向つて南進中、その直線の前方(南方)約一五〇米の位置において、右学童集団が反対方向(北方)に向つて歩行してきたのを認め、約五〇米に接近して警笛を鳴らし、車両前部を西側に後部を東側に向けてやや斜めに右に寄せ、約一〇米手前で時速約二〇粁に減速し、一時モーターバイク二台の動向を注視し、右集団に対する注視を怠り、右集団とすれ違つたこと、同市大字常名四、三七一番地岡田医院前側溝蓋の北西端北方付近を歩行中の原告明美が列に遅れたので、そのうしろにいた石井良子が早くと右手で同原告の肩を押したので、駈け出し、右溝蓋北西方約二米、西方約一米五〇糎の地点で被告田中運転の国鉄バスに接触し、左足先を左側後輪外側タイヤで轢かれて左第一から第五中足骨複雑骨折、左第一趾基節骨々折、左リスフラン関節外傷性脱臼、左足背部裂創を負つたが、被告田中は、これに気付かずして右現場を通過して終点の土浦駅前に到着後捜査官の通告によつて始めて右事故を知つたことを認めることができる。右認定に反する〔証拠略〕は、前掲各証拠に照して信用できなく、他に右認定事実を覆すに足る証拠はない。右認定事実を考え合せれば、右学童集団は道路交通法第七一条第二号後段の規定による監護者が付き添わない児童が歩行しているときに当るから、このような児童は道路を歩行している際においても、何時列を乱すような行動に出るかも予測できないのが通常であり、殊に本件のように児童の集団登校のような場合には特にそうである。しかして、このような場合に対処して、運転者には、とくに一般的な遵守事項として道路交通法第七一条第二号後段が定められているものである。したがつて運転者たる者はかかる児童の歩行している際には、道路の広狭、路面の状況、車両の種類、型状、積載量その他諸般の状況に応じ、すれ違い前においても警笛を吹鳴してその注意を喚起し、かつ、速度を何時でも急停車して緊急の事態に備えられる程度に落して徐行し(停止の措置をとつた場合、停止するまでの惰力前進距離を進行しても、なおかつ事故の発生を避け得られる速度)右児童集団と無事にすれ違いを完了するまで注視すべき注意義務があるといわなければならない。しかるに、被告田中は、前掲認定のような状況において、児童集団に約五〇米接近して警笛を二回吹鳴し、車両前部を西側に、後部を東側に向けてやや斜めに右に寄せ、約一〇米手前で時速約二〇粁(被告田中本人の供述によれば、停止措置をとつた場合、停止するまでの惰力前進距離は約五米である旨供述している。)に減速したに止まり一時モーターバイク二台の動向を注視し、(対向車の動向を注視するのはもとより当然であるが、そのために児童集団に対する注意を怠ることはできない。)右児童集団と安全にすれ違いを完了するまでの注意を怠つたものであるから、被告田中は明らかに前掲の注意義務を懈怠したものであつて、原告明美の負傷について過失があると認めざるを得ない。しかして、かりに石井良子が原告明美の肩を押したため本件事故が発生したとしても、被告田中が前掲認定の注意義務を怠つた以上、石井良子と共同不法行為の立場に立つに過ぎないということができるけれども、石井良子が原告明美の肩を押したのは、同原告の駈け出した動機にすぎなく、石井良子を共同不法行為者ということはできないから、被告田中は行為者として民法第七〇九条によつて原告らの蒙つた損害を賠償する義務がある。
次に、被告日本国有鉄道は、自己および被告田中が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたことならびに使用者として被告田中の選任および事業の監督について注意を怠らなかつた等、原告らに対する損害賠償責任はない旨主張するので、この点について判断するのに、保有者が自らその自動車を運転しない場合自賠法第三条の責任を免れるためには、運転者もまた要求された注意義務を遵守したということを証明しなければならず、この立証ができないかぎり保有者は免責されない。したがつて、保有者は、自分が運転者の選任等につき相当の注意を怠らなかつたことを楯にとつてその責任を免れることはできないから、被告田中に前掲認定の注意義務懈怠がある以上、同法条によつて原告らの蒙つた損害を賠償しなければならない。
次に、原告らの蒙つた損害の額について判断するに、被告日本国有鉄道は、自賠法に基づく場合は同法の法定賠償額(同法第一三条、第七二条)が限度であると主張するけれども、賠償額の点で、法定賠償額以上の損害には、無過失責任は及ばないかが問題になるが、同法第三条はなんら制限を設けていないし、被害者保護の必要からも、法定賠償額を越える部分についても及ぶものと解すべきである。しかし、損害の賠償の範囲を定める標準については、つねに、民法の原則による(自賠法第四条)と解するのを相当とするから、この主張は採用することはできない。
新治協同病院の入院費が一四六、八一五円であることは当事者間に争いがないところ、(一)〔証拠略〕を総合すれば、原告とみえは新治協同病院に対し一四六、八一五円の債務を負担し、同病院に通院医療費として七、三二〇円、山本療院に四、四八〇円、付添人の通院に要したバス代三、四八〇円、事故当日自宅から病院までのハイヤー代五〇〇円、事故当日のバス代一六〇円、見舞客への食事代一一、一一〇円、栄養補給費九、六八〇円、湯タンポ四五〇円、枕、敷布一、〇五〇円、布団カバー六〇〇円、ゴザ二〇〇円、体温計二〇〇円、計二、五〇〇円、後遺症矯正のための酵素療養費三一、七〇〇円、退院後通院バス代三、三〇〇円、田植のための人夫賃一五、〇〇〇円(甲第一四号証の宛名は原告優和となつているが、原告とみえが支払つたものである。)を支払つたことが認められる、右認定を覆すに足る証拠はない。しかして、右のうち見舞客に対する食事代は、本来見舞客の好意に対する感謝の気持の表現であり、見舞客自身も接待を受けるつもりで見舞に来るものではないから社会生活上認められる茶菓程度のものならば格別、原告明美の受傷と相当因果関係にある必要経費とは認められないので見舞客の食事代を除いて前掲認定の二二四、九三五円の損害を蒙つたことを認めることができる。(二)〔証拠略〕を総合すれば、原告とみえは、畑一・四畝合計六反六畝一六歩を所有しているが原告明美の受傷によつて昭和四〇年度の耕作ができないで無収穫に終り、来年度ならば少くとも反当二〇、〇〇〇円以上の純収入があつたことが認められる。右認定を覆すに足る証拠はないので原告とみえが畑作ができなかつたことによつて得べかりし利益を一〇〇、〇〇〇円失つたとしているのは認めることができる。
次に、被告日本国有鉄道は、原告とみえ、同優和が、原告明美の受傷によつて慰謝料を請求しているが民法第七一一条は「生命を害したる」場合にのみ請求できるのであつて本件のように傷害事故については請求できないと主張するので、判断するに、不法行為によつて身体を害された者の両親は、そのために被害者が生命を害されたときにも比肩すべき精神上の苦痛を受けた場合、自己の権利として慰藉料を請求しうる(最高裁判決昭和三三・八・五民集一二巻一二号一、九〇一頁参照)のであつて、原告とみえ、同優和は、後に判断するように、原告明美の受傷によつて同原告が生命を害されたときにも比すべき精神的苦痛を受けたと認められるから、原告とみえ、同優和は自己の権利として慰藉料を請求することができると解するのを相当とするから、この主張は採用することはできない。
そこで、原告らの慰藉料の額について判断するに、〔証拠略〕を総合すれば、原告明美は、原告とみえ、同優和夫婦の長女であつて前掲受傷によつて本件事故当日から昭和四〇年五月一五日まで新治協同病院に入院し、引続き同年七月七日まで通院加療を受け、その後マツサージ矯正を受けて半年間休学し、一時は左前足部切断の虞れがあつたが、右切断は免れたものの、右前大腿部の皮膚を左足患部に移植し、右前大腿部および左足背部に傷痕を残して外反外転扁平足変形を示し、歩行障害、疼痛、疲れ易く、正座ができない等の後遺障害を残し、足袋も草履も履けない状態であり、受傷後は素直さがなくなり、ひがみつぽくなる等性格に変化をきたし、また通学途上のバスをみると恐怖を感じ学校へ行くのを嫌がるので、原告とみえの兄のところに寄宿させて土浦小学校に転校させ、両親としては将来農家の跡を継がせたいと思つていたが、本件後遺障害によつて将来農耕ができそうもなく、また嫁に行くにもあの性格ではと日夜思い悩んでおり、原告とみえは心労から当時生後七ヵ月の幼児のための母乳がでなくなり、また原告優和は勤務先の作業能力が低下したことなどを認めることができる。右認定を覆すに足る証拠はない。
右認定事実を考え合せれば、原告明美の傷害は死にも等しい程度の重大な場合にあたるということができるから、右認定事実と本件事故の原因、被告田中の過失の程度その他諸般の事情を斟酌して、慰藉料として、原告明美に対しては一、〇〇〇、〇〇〇円、原告とみえ、同優和に対してはそれぞれ三〇〇、〇〇〇円をもつて相当とする。
そうすれば、原告らが、被告ら、各自に対し原告明美に対しては一、〇〇〇、〇〇〇円、原告とみえに対しては六二四、九三五円、原告優和に対しては三〇〇、〇〇〇円と右各金員に対する本件記録によつて明らかな本訴状送達の翌日である被告日本国有鉄道に対しては昭和四一年一月一一日、被告田中に対しては同月一三日からそれぞれ支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるのでこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 荒井徳次郎)
別表
本件事故発生による物的損害、金三三五、七六五円也
内訳
一、入院中の経費 金一七四、二四五円也
但し
(1)入院費 金一四六、八一五円也
本件事故により昭和四〇年二月二三日から同年五月一五日まで八二日間、新治協同病院に入院加療のために要した医療費
(2)交通費 金四、一四〇円也
(イ)附添人通院バス代 金三、四八〇円也
入院翌日(昭和四〇年二月二四日)から退院(同年五月一五日)まで八一日間附添人(祖母大久保いと母大久保とみえ)が自宅(常名)から病院(土浦駅)まで通院に要したバス代(一人一往復四〇円が七五回三、〇〇〇円、二往復八〇円が六回四八〇円、計三、四八〇円也)
(ロ)ハイヤー代 金五〇〇円也
事故当日自宅から病院まで寝具その他入院必需品の運搬に要したハイヤー代金
(ハ)事故当日バス代 金一六〇円也
事故現場から病院へ、病院から自宅へ往復したバス代金
(3)雑費 金二三、二九〇円也
(イ)見舞客に供した食事代金三〇回分金一一、一一〇円也
(ロ)被害者の体力回復に要した果物、栄養食品代三二回分金九、六八〇円也
(ハ)湯タンポ四五〇円、枕、敷布一、〇五〇円、布団カバー六〇〇円、ゴザ二〇〇円、体温計二〇〇円、計二、五〇〇円也
二、退院後の経費 金四六、五二〇円也
但し
(1)通院加療費 金七、〇四〇円也
退院後昭和四〇年五月一八日から同年七月七日まで前記病院に通院加療のため要した医療費
(2)マツサージ代 金四、四八〇円也
後遺症たる左足の変形、跛行を矯正するため同病院指定土浦市真鍋町山本病院の治療を受けた医療費(昭和四〇年六月九日から同年七月一五日までに三二回加療、一回単価一四〇円)
(3)酵素療養費 金三一、七〇〇円也
後遺症矯正のため昭和四〇年七月八日から同年一二月一四日まで日本酵素研究会(本部京都市上京区大宮通、治療所土浦市中城町堀越静枝方)の酵素療養を受けた療養費八、七〇〇円薬剤二三、〇〇〇円
(4)交通費 金三、三〇〇円也
退院後昭和四〇年五月一八日から同年一二月一四日まで通院のため自宅から土浦まで往復に要したバス代(附添とも二名一往復六〇円、五五往復分)
三、畑作ができなかつたための損害 金一〇〇、〇〇〇円也
原告大久保とみえは原告明美の負傷により事故発生の昭和四〇年二月二三日から八二日間、明美が入院中附添に没頭し、引続き退院後も同年一二月一四日まで前記通院加療、マツサージ治療及び酵素療養に附添つたため農耕に従事できず、よつて同年度において自己所有の畑五反歩の収穫が皆無となつた損害金水田の人夫賃 金一五、〇〇〇円也右同様の事情から家人で田植ができず、止むなく人夫を雇入れて水田を耕作し、よつて支払つた人夫賃